今日は一夫一妻制ということを考えてみましょう。
ちょっと誤解を招く発言かもしれませんが、私は一夫一妻制にはあまり関心はありません。
なぜならば、一夫一妻制は法律の概念であって、人間の種族繁栄の観点からすると不自然だからです。
世の中には一夫多妻制、一妻多夫制の民族もまだあります。少数民族ではありますけどね。
だから、一夫一妻が実は当たり前ではない、ということをお伝えしたいのです。
前回のブログにも書きましたが、

パートナーは自分の所有物ではありません。
- 夫なんだから、妻と子供を守る責任がある。
- 夫なんだから、妻を大事にすることが正しい。
- 夫なんだから、妻だけを見て愛人を作ってはいけない。
- 愛人は、どうせ愛人だから、立場を主張してはいけない
- 愛人は、どうせ捨てられる人なんだから、身の程を知れ!
という考え方自体が、相手の世界をコントロールしようとしていることになります。
例えば、夫が浮気をしたとして、なぜ妻は立場を主張するのか?
ということを考えてみましょう。
もし、一夫多妻制の国ならば、立場を主張することはできないわけですよ。当たり前だから。
一夫一妻制だから、主張するんですね。
その根底にある感情は
- 私だけを愛して
- 自分だけを幸せにして
という感情です。
つまり、浮気した夫が全面的に悪い!という視点から生まれる思考です。
でも宇宙の法則上、善悪や正否は存在しません。
また、宇宙の法則上、「心の状態に等しいことが現実に起こる」のです。
つまり、浮気したほうも悪いですが、浮気される方にもちゃんと因はあるということ。
そんなことはない!
私は完ぺきな妻です!
というならば、自分の本音はちゃんとわかっていますね。
しかし完璧な妻じゃなくても、浮気されない妻はいるわけで、その違いは何かということ。
それは自分の望みにちゃんと目を向けて、それが引き寄せられると完璧に信じ、不満なく毎日を楽しくわくわくする気持ちで、あるいはいい気分とか心地よいという気持ちで過ごしているかどうか、ということなのです。
浮気をするのは、満たされない感情を満たそうとするから。
浮気をされるのは、常にパートナーに求め、実は不満と不安の感情を常に持っていることを自分が認めていないから。
です。
不倫を肯定しているわけではありませんし、現代のシステム上は、浮気はあくまでも浮気でしょう。
しかし、本当に夫婦が幸せにやっていくためには、一度今の現代のシステムの視点で物事を見るのではなく、自分が本当に得たい幸せは何か、という視点から見つめてみることが必要であるということをお伝えしたいのです。
